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大阪マラソン終了!ランナーからのご支援に感謝!

BAJの新石正治です。寒くなってきましたね。お元気でお過ごしでしょうか。

10月30日(日)に第6回大阪マラソンが開催されました。もうあれから10日以上経ったんですね。私のなかではまだ何かがくすぶっております。今日はあらためて大興奮のマラソンを振り返りたいと思います。

出走者は大会運営の発表によれば32,259人とのこと。BAJのチャリティランナーの方たちは20名が出場されました。ありがとうございます。改めまして、ランナーの皆様、ご支援者の皆様、ボランティアの皆様に厚く御礼申し上げます。

10月28日から2日間、ゴールでもある展示場(インテックス大阪)にて大阪マラソンEXPOが開かれ、多くのランナーの方たちにBAJブースを訪れていただき、お話することができました。

ランナーの方のお名前が掲示されています。


チャリティランナーのみなさま ありがとうございます!

(パートナー団体の東京おもちゃ美術館のチャリティランナーさま。今回BAJチャリティランナーのなかで一番ご寄付を集めてくださいました!)

わたしもチャリティランナーとして出場しました。

マラソン当日は快晴に恵まれました。

BAJの応援チームも2チームに分かれて、チャリティランナーのみなさまを追いかけました。

ゴール地点はやっぱり感動します。

ランナーの皆さまと支援者の皆さまからいただいたご寄付はミャンマーの子どもたちに図書とおもちゃを届けるプロジェクトに活用いたします(すでに本棚の手配を始めました)。大阪を走り抜けられたランナーの方たちの思いを「小さな図書室」にして、ミャンマーの子どもたちに届けられることがとてもうれしいです。大阪マラソンの熱さもミャンマーの子どもたちにぜひ伝えたいと思いました。

今回のプロジェクトの詳細→ http://booktoy.strikingly.com/

大阪マラソンは「大阪に新しいお祭りを!」という思いで始まったと聞きました。わたしも実際に走ってみて、それをつよく実感しました。ふだんとは違う都市の風景、沿道の方たちの声援、すべてがキラキラしていて感動しました。

【注意!】ここからNGO職員っぽい感想(?)を書きたいと思います。くすぶった私の思いを鎮火するための文章ですので、ご興味のある方だけお読みいただければ幸いです。お時間のない方は是非とばして、次の写真をご覧ください!!

大規模な市民マラソンが開催できる都市は世界的に見れば多くありません。道路などのインフラ、交通網の統制、大会を運営管理する人員体制などなど、求められる条件は、一朝一夕で整うものではなく、国や地域のちから、ヒトのちからが鋭く問われます。マラソンは都市としての機能を意図的にマヒさせなければならず、それをコントロールできないといけません。これは歴史のある日本の大都市だからこそ挑戦できる本当にすごいことだと思います。
わたしが走っていて一番痛快に感じたのは、大阪マラソンがまさに都市を走り抜けるマラソンであることでした。ふだんはモノの流通のために整備された幅広の車道を、人々が埋め尽くして走り抜けていきます。その光景はどこか胸に迫るものがありました。そうか、ふだんは車がたくさん通っているけれど、この都市の主役はあくまで人間なんだ!という気持ちです。なにをあたりまえのことを…と思われるかもしれませんが。
説明を試みます。都市は私たちに様々なモノを提供してくれます。と同時に都市で生活することは、何だか得体の知れない巨大なシステムの中で生きることを意味します。便利な生活がある一方で守らなければいけないルールがたくさんあります。ときにはそうした都市の生活に疲労したり、解決の難しい困難や課題にぶつかったりします。そんなときは、その絡まりあった巨大な構造を目の前にして途方にくれたりします。おそらくマラソンを走って感じた解放感とは「わたしたちは本気になれば、いつでも自由に走ることができる」という実感なんだと思います。
あたりまえのことかもしれないですが、忘れがちなこと――社会のルールやシステムは人間の意志で変えることができるということ。ふだんは流通システムに道を譲っているけれど、やはりこの都市の主役はモノではなく人間で、人間が走ろうと思えば道路でもなんでも封鎖して走ってしまうのです。その自由さ!
「都市」に疲れてしまったとき、あるいは開発に関わるNGOスタッフであるなら「地域や国が発展したとして、そこに一体どんな幸せが待っているのか?」と自問してしまうとき、この「自由さ」の体験の意味は大きいのではないかと思いました。
「自由さ」をいいかえれば、それは「わたしたちにはできるはず!」という確信のことです。様々な社会的課題に立ち向かおうとするNPOの原点かもしれません。いやNPOに限らず、この社会を生きる人たちみんなが思い返したい原点じゃないかと思います。
都市機能の麻痺。その解放感。そして、麻痺を意図的に創り出す。その意志とちから。
日常と非日常の往還。死と再生。これはやっぱり現代の祭りなんだと思います。
走っている最中、「きっといま大勢のランナーたちに踏みしめられている道路たちもうれしいに違いないんだ…」という気持ちになりました。思い返すとヘンな感覚です。どういうことなんでしょうか。アスファルトの道路に感情移入して何だか泣けてきたのです。こんな気持ちになるのもランナーズ・ハイなんでしょうか。沿道の声援も、音楽の応援も、すべてが大阪という都市とそこに集まった人たちを祝福しているようでした。ちなみに私のタイムは5時間3分。5時間を切れなかったのは、こんなふうにいろいろ興奮しすぎたためだと思います。【鎮火終了】

祭りのあとはさびしい気持ちになります。ですが、さびしい気持ちになるくらい楽しんだと思えれば少しはさびしさも紛れるかもしれません。

改めまして応援してくださったみなさま、ありがとうございました。

来年も大阪で一緒に走れることを祈って!

今回BAJのプロジェクトのために走っていただいたチャリティランナーさんへのご寄付は11月末日まで受付けております!!

チャレンジ一覧→ http://japangiving.jp/charities/search?npo_id=94&event_id=85